大林宣彦と尾道 〜尾道市観光文化課発行ロケ地イラストマップより抜粋〜 医師の長男として、尾道に生まれた大林宣彦は、2歳でブリキの映写機のおもちゃに親しみ、6歳でフィルムに絵を刻んでアニメーションを作った。15歳の時に小津安二郎が『東京物語』を撮影する現場を見学。 大学進学の為に東京に移り住んだ後、生まれ故郷の風景をスケッチ的にとらえた8ミリ映画を撮り、『尾道』と題した。 1960年代後半、数多くのコマーシャル・フィルムを監督し、個人映画作家としても特集上映会が催されるようになった大林監督は、再び古里・尾道にロケし16ミリ映画『CONFESSION=遥かなるあこがれギロチン恋の旅』を製作。 1981年、小予算で尾道を舞台に撮影した『転校生』は、数々の賞を受賞。続く『時をかける少女』 『さびしんぼう』と合わせて尾道三部作と称されるようになる。この時より、尾道が映画の町として知られ、映画ファンが訪れるようになった。 1990年夏、久しぶりに尾道を舞台にした映画を撮影するにあたり、大林監督は自ら「新・尾道三部作第1作」と台本に記した。『ふたり』は、尾道を舞台に数多くの場所で、また四季を通じての撮影は、尾道の魅力を全国的に紹介する作品となった。 その5年後、『あした』では、尾道の町とともに、多くの「海の見える風景」が撮影。 さらに、4年後の『あの、夏の日―とんでろ じいちゃん』では、登場人物が尾道弁を口にし、ファンを喜ばせた。 大林監督にとって尾道は、専用のオープンセットでありスタジオ。作品毎に、観客を魅了し撮影場所、尾道へファンを誘う。 映画で見る尾道の町は、現実とは異なる部分もある。それは、映画魔術師、大林監督の腕の見せ場でもり、また、25年の年月の経過にもよる。ゆっくりと時間が流れる町ではあるが、尾道住民には生活の場であるのだから。 |
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